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話題の本

『人口と教育の動態史―1930年代の教育と社会』木村 元 編著

 日本教育学会発行『教育学研究』(第73巻 第1号 2006年3月/収録・抜粋)

本の詳細

 日本教育史分野に、久しぶりに現れた大著である。本文総頁数620、編者の木村元氏のもとに院生から助教授の若手7名が結集した共同研究の成果である。大著と称するのは、もとより大冊であることのみを意味するのではない。視角、方法、したがって研究の対象が鮮明で、日本教育史研究にとどまらず、教育学研究そのものに対して、充分に問題提起な書であるからである。
 本書が対象とする1930年代は、一般には、教育の戦時体制化の進行とそれに対抗して生活綴方教育運動や教育科学運動等、各種の教育実践運動が展開した時期と捉えられる。しかし本書はこの時期を、日本社会の産業化の一層の進展による社会変動のもとで、これに対応して教育実践や教育学が新しい展開をした時期と捉える。新たな局面を迎えた教育実践・教育学の意味を社会の変動を介して検討しようとするのである。両者は単なる「対抗」としてではなく、相互の新たな関係が問われることとなる。ここで本書が注目するのは学校と職業社会とのシステムとしての繋がりであり、構築された両者の連結関係の内実である。
 この課題設定の根底には、現在、学校と社会との関係が大きく揺れ動き、教育実践・教育学が変質を迫られているのではないか、との認識がある。学校を卒業して職業社会に参入することが自明とされてきた両者の関係が、現在、動揺しているのであり、1930年代はそのような両者の関係が歴史的に構築された時期でもあった、とするのである。
 学校と職業社会とのこのような緊密な関係がどのように構築され、現在、どのように動揺しているかとの研究は、今日、主として教育社会学の分野で進められているが、本書の特色は、これと課題意識を共有しながら、「教育人口動態」という視座の導入によって対象に迫ろうとしたことにある。「教育人口動態(educational demography)」とは、本書によれば「近代学校制度のなかで産出される就学(不就学)、退学、進学就職(学卒後就職)、出席(欠席、長期欠席)などの人口や比率等々といった教育にかかわる人口動態の量的・質的な変化」を言う(13頁)。本書では特に、青少年層の就学動機とそれを取り巻く諸種の力学に焦点化して、この視座が適用される。(中略)
 3部構成された本書において、約半分の紙数が投ぜられたのは教育人口動態の実態を迫った第2部である。内容的にも、多くの読者(少なくとも評者)にとって未知の対象であるこの部分が、最も読み応えがあるのではなかろうか。
 しかし序章で示された本書のねらいからすれば、中心となるべきは「ペダゴジー」そのものが検討された第3部である。だが、第3部表題に「諸学」とあり、「第九章までの検討を踏まえ」(31頁)て書かれたはずの第10章標題に「諸相」とあるように、著者たちの意図する「ペダゴジー」そのものの検討は、必ずしも構造化されているとは言い難い。
 教育人口動態という新たな視座の導入は、それ自体、検討すべき新たな事項を著者たちに課し、それゆえに、資料の選択や調査等に多くの労力を費やさねばならなかったであろう。その成果が充分に手ごたえのあるものとなったことは既述の通りであるが、それ故に第3部がやや羅列的なものになったと言うべきなのであろうか。それとも、社会変動から教育実践(学)を問う、その問い方(方法)に問題があるのか。著者らの問題提起が魅力的であるがゆえに、なお検討すべき課題が残されたのではないだろうか。これは、編者の言うフォーク・ペダゴジーは理解可能だが、メタ・ペダゴジーなるものが、評者にはいまひとつ理解しにくかったこととも関連していよう。
 しかしいずれにせよ、今日、教育学研究の意義が問われ、変容を迫られていることは明らかであり、これを歴史研究の立場から問うという著者たちの試みが、極めて重大かつ野心的なものであることもまた、明らかである。著者たちの研究の更なる発展を心底より期待したい。

(評者/片桐芳雄・日本女子大学)

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