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書籍のご案内

ハプスブルクの「植民地」統治
―ボスニア支配にみる王朝帝国の諸相  
村上 亮著
A5判・上製・横組・304頁
(本体4,000円+税)
ISBN 978-4-8115-7931-3 C1022
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内容概略
 1914年6月28日、ハプスブルク帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナントが暗殺されたサライェヴォ事件は、第一次世界大戦の直接的契機としてよく知られている。本書はこの現場となったボスニア・ヘルツェゴヴィナにおけるハプスブルク施政を「植民地」統治の文脈に位置づけ、その支配の特質を明らかにするものである。
 一般にハプスブルクは、同時代の列強諸国のような「植民地」帝国とはみなされてこなかった。しかしながら、実際の統治政策には「植民地」統治と共通する政治的、経済的な支配=従属関係が認められる一方、一般的な「植民地」とは異なる面も併せ持っていた。家産国家的なハプスブルク家の継承法(「国事詔書」)を軸とする二重帝国体制、ならびに南スラヴ問題に代表される民族問題の影響である。以上の諸要素に目配りした議論は、ほとんどなされてこなかったといえよう。
 本書の検討の切り口は、ボスニア経済の中心をなすとともに、この地特有の宗派=民族関係と不可分であった農業である。ハプスブルクは農業分野においてどのような政策を展開し、どれほどの結果をもたらしたのであろうか。また一連の政策のなかでいかなる問題が表出したのだろうか。さらにいえば、サライェヴォ事件はハプスブルクの「失政」の帰結だったのであろうか。本書を通じて、「王朝帝国」ハプスブルクによる支配の諸相が描き出されるだろう。

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目次

序論 サライェヴォ事件とハプスブルク帝国
 1 サライェヴォ事件―世界史の転換点 
 2 ボスニア統治の前提条件
 3 研究史
 4 本書の構成と史料
第1部 二重帝国体制とボスニア統治
第1章 ボスニア占領への道
 1 二重帝国体制の概要
 2 アウスグライヒ後の外交政策
 3 「東方危機」の勃発
 4 ベルリン会議におけるボスニア問題
第2章 二重帝国体制への編入過程
 1 ボスニア統治体制の基盤
 2 地方行政の構築と法制面での同化政策
 3 南スラヴ問題とボスニア併合
 4 ボスニア憲法
 5 小括
第2部 周辺地域開発の展開―クメット問題と農業振興
第3章 クメット問題への取り組み
 1 クメット政策への非難
 2 クメット制度の形成
 3 統治者側の現状認識
 4 ハプスブルクの施策と「現実」
 5 ムスリム地主層とハプスブルク政権
 6 クメット償却の展開
第4章 農業振興策の展開
 1 ボスニア農業の「停滞」?
 2 ボスニア農業の生産実態
 3 全般的措置 
 4 分野別措置 
 5 ボスニア通商と農業
 6 小括
第3部 ボスニア農政と二重帝国体制
第5章 畜産問題にみるボスニアの従属性
 1 獣疫の重要性
 2 豚ペスト問題
 3 「共通獣疫体制」への編入問題
 4 フランゲシュによる振興法案の策定
 5 振興法案への対応
 6 ボスニア農政と本国経済の事情
第6章 「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ特権農業・商業銀行」の設立問題
 1 償却政策の転換
 2 特権農業銀行の概要
 3 オーストリア政府の対応
 4 オーストリア下院議会の抵抗①
 5 オーストリア下院議会の抵抗②
 6 全会一致決議の意義
第7章 クメット問題解決の切り札―1911年「償却法」の制定
 1 ボスニア議会における折衝
 2 「償却法」の概要
 3 「償却法」以後の進展
 4 「償却法」の課題
 5 「償却法」改正の試み―バルカン戦争とディモヴィチ法案
 6 クメット問題の「解決」
 7 小括
補論 ハプスブルクと「七月危機」
 1 「世界」大戦の発端―ハプスブルクとセルビアの対立
 2 戦争への転換点
 3 サライェヴォ事件とセルビア政府
 4 世界大戦への拡大―おわりにかえて
結論 ボスニア統治にみるハプスブルク支配の特質
地図・写真典拠一覧
参考文献
あとがき
事項/地名索引
人名索引

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著者

村上 亮著

村上 亮(むらかみ りょう)
日本学術振興会特別研究員PD、関西学院大学、大阪成蹊大学非常勤講師

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